「稲むらの火」の伝承が息づく神社

広川町に鎮座する廣八幡宮は、悠久の歴史を刻む古社であり、「稲むらの火」の逸話でも広く知られる由緒ある神社です。
創建は6世紀中頃、欽明天皇の時代にまで遡ると伝えられる廣八幡宮は、以来、地域の人々の篤い信仰を集めてきました。豊臣秀吉による紀州攻めで一部焼失の憂き目に遭いましたが、江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと復興し、その威容を今日に伝えています。
境内には、室町時代に建造された本殿をはじめ、若宮社、高良社、天神社、拝殿、楼門など、6棟もの建造物が国の重要文化財に指定されています。社殿は壮麗な朱塗りで彩られ、特に楼門(ろうもん)と本殿は歴史的・建築的な価値の高い文化財として知られています。
そして、廣八幡宮を語る上で欠かせないのが、「稲むらの火」の物語です。安政元年(1854年)の安政南海地震による大津波の際、広村(現在の広川町)を襲った津波から村人を救うため、庄屋であった濱口梧陵が自身の刈り取った稲むらに火を放ち、その火を目印に避難させたという感動的な逸話が残されています。廣八幡宮は、この時、多くの村人が避難し命を永らえた高台に位置しており、境内には濱口梧陵の功績を称える碑も建立されています。現在も津波時の避難場所に指定されており、「世界津波の日」に合わせた避難訓練も行われるなど、現代にもその防災の意識は受け継がれています。