聖徳太子ゆかりの神社

飽波神社(あくなみじんじゃ)は、聖徳太子が創建したと伝えられる歴史ある神社で、東安堵・西安堵の総鎮守社として地域に親しまれています。 主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、江戸時代には牛頭天王社と称されていました。
神社の創建は、聖徳太子が飽波葦垣宮に滞在中、夢で東方に五色の雲がたなびき霊剣が現れるのを見て、素戔嗚尊が牛頭天王として顕現したと感じ、祠を建てたことに始まるとされています。
境内には、聖徳太子が腰を掛けたと伝えられる「腰掛石」があり、太子道(筋違道)沿いに位置することから、太子ゆかりの地として知られています。
また、飽波神社では、雨乞い祈願が成就した際に踊る「南無手踊り(なもでおどり)」が伝承されており、現在も秋祭りの宵宮(10月第4土曜日)に奉納されています。 この踊りに使用される道具や衣装、絵馬などは奈良県指定有形民俗文化財に指定されています。
鳥居に掲げられた額は、安堵町出身の近代陶芸家・富本憲吉(人間国宝)の筆によるもので、芸術的価値も高いとされています。