戦国の記憶を今に伝える山城

田峯城(だみねじょう)は、戦国時代に奥三河を支配した田峯菅沼氏の居城であり、文明2年(1470年)に菅沼定信によって築かれました。 標高387メートルの笹頭山中腹に築かれたこの山城は、別名「蛇頭城(じゃずがじょう)」とも呼ばれ、戦国時代の動乱を象徴する歴史的な場所です。
田峯城は、長篠の戦い(1575年)後、武田勝頼の入城を拒否したことで知られ、その後、菅沼定忠による急襲で城内の多くの人々が命を落とすという悲劇が起こりました。 この事件は「田峯城の惨劇」として語り継がれ、現在も「首塚」や「道善塚」などの史跡が残されています。
現在、田峯城跡は「歴史の里 田峯城」として整備されており、本丸御殿、大手門、搦手門、物見台などが復元されています。 物見台からは寒狭川やV字渓谷を一望でき、四季折々の自然とともに歴史の息吹を感じることができます。