歴史と自然が織りなす、萩のシンボル

慶長9年(1604年)に毛利輝元によって築城された萩城は、指月山の麓に位置することから別名「指月城」とも呼ばれていました。平山城である萩城は、本丸、二の丸、三の丸、詰丸から構成され、かつては五層の天守がそびえ立っていました。しかし、明治7年(1874年)に天守や櫓などの建物は解体され、現在は石垣と堀の一部が当時の面影を残すのみとなっています。一帯は国の史跡に指定されており、歴史的価値の高さが伺えます。

旧本丸跡には歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建され、約20万㎡の境内が指月公園として整備されました。園内には天守跡、梨羽家茶室、万歳橋、東園などの旧跡が点在し、城跡の構造を今に伝えています。また、幕末には13代藩主・毛利敬親が茶室「花江茶亭」を増築し、家臣と共に時勢を論じました。この茶室は明治22年に園内へ移築され、現在もその姿を見ることができます。

春には約600本のソメイヨシノが咲き誇り、桜の名所として知られる萩城跡指月公園ですが、園内には花びらが純白色の珍しい桜「ミドリヨシノ」が一本存在します。この貴重な桜は、山口県の天然記念物に指定されており、萩でしか見ることができません。

指月山は、山頂まで徒歩約20分。山頂からは萩の街並みを一望できます。また、山頂はかつて要害または詰丸と呼ばれ、城の最後の砦でした。周囲を石垣と土塀で囲み、矢倉を配置した要害は、戦時には籠城の拠点となり、平時には陸地と海上を監視する役割を果たしました。山頂からは、当時の要害の機能や築城過程を垣間見ることができます。